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MOVIE LOVERS' PLACE

映画の感想などを綴っていきます。

イングマール・ベルイマン監督『冬の光』の感想など<ネタバレあり>

こんにちは。

 

私が最近kindleで一気読みしてしまった本がこちらです。

 

 

『円高の正体』(光文社新書

Amazon.co.jp: 円高の正体 (光文社新書): 安達誠司: 本

 

 

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作者は安達誠司さんです。2012年に発売された本で、その頃1ドル=80円前後であった円高の理由などを解説しています。

 

 

この本の何がすごいって、安倍政権になってからの日本政府の金融政策をぴたりと当てている点ですね。アベノミクスの結果が分かってきている今だからこそ読む価値があります。正論すぎて怖いです。

 

 

ただし、この本の中で唱えられている金融緩和が実施されたにも関わらず、この本で計算されたほどのGDP成長率を日本が遂げられなかった点は当てられなかったようですね。

 

 

単純に日銀の金利をマイナスにして量的緩和を行った上で増税して物価をあげたら、額面上の企業の業績やGDPがその分増えて当然ですよね。シンプルに考えて。買い控えなどが起きる分を除外して考える必要はありますが、逆に増税前の駆け込み需要というカンフル剤もありましたし。それにも関わらずGDP成長率が増税分もしくは物価上昇分に追いついていないのってかなりの結果だと思います。実体経済シュリンクしているということですよね。

 

 

またこの本では各国政府がさまざまな経緯を経て今の変動相場制の為替マーケットがあることなども説明していて面白かったです。戦後の経済協定、ヘッジファンドによる通貨アタックおよび通貨危機貿易摩擦、プラザ合意・・・色々なジレンマがあった上での変動相場制なのですね。

 

 

友人とこの本について話していて、「そもそも何で常に経済成長しなければいけないんだろうね?」という疑問にあたりました。

 

 

たしかにそれってシンプルながらも難しい命題ですね。

 

 

資本主義社会で株式会社が主体の経済では、企業が株価を維持するために業績を上げ続ける必要があるっていうのが私の答えです。キャピタルゲインを狙う投資家は業績が成長するであろう企業の株を買おうとするので、企業が資本を調達するためには基本的に業績が常に向上していないといけない。一部の逆張りなどの投資手法を除きます。

 

 

また世界規模で考えれば、TPP交渉などに見られるように国際貿易はある意味戦争みたいなものなので、貿易収支を黒字化して国家を守るためには経済的に強い国家でいなければいけない。よって国内企業は常に成長して競争力を維持しないといけない。

 

 

でもこれらって何となく味気ない答えですね。

 

 

以前名前を忘れてしまったのですがトルコの経済学者で、「そもそも日本は世界でも有数の経済大国だ。とても豊かで幸せな国だ。これ以上の経済成長をなぜ望む。日本の目指すべきところはもっと違うはずだ。」という記事を書いててグッときた記憶があります。

 

 

本来マーケットの神の手に委ねれば、成長と衰退を繰り返すのが経済であるはずなのに、現代世界では「経済は成長し続けるのが当然」とみなされている。各国GDPランキングもそれを物語っている。

 

 

ではなぜ「経済は成長し続けないといけない」のか。

 

 

私は人々が信じることによって成立するものが世界に二つあると思います。それは神とお金です。神は宗教、お金は経済そのものと言い換えてもいいかもしれません。

 

 

資本主義社会では誰もが「利益」のために色々な経済活動を行います。そして人間の欲求が底なしであることに資本主義はマッチしています。常に成長しなければならないから。

 

 

一方、神の存在や宗教そのもの。個人的に特に信仰しているものがあるわけではありませんが、信じることそのものに意義があるんだと思います。本当に存在するかどうかはこの際問題ではないのです。人間とは本当に脳の発達した知能の高い生物です。

 

 

人々が信じることに意味がある。もしかしたらそれが答えかもしれません。

 

 

さて、信仰といえば、本日の映画は『冬の光』です。1963年に公開されたスウェーデンの映画です。

 

 

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監督はイングマール・ベルイマンです。この映画のテーマは信仰です。

 

 

トーマスという牧師とマルタという女性教師の語らいを中心としたストーリーです。

 

 

トーマスは牧師ながらに神への信仰に対して自信を持てなくなっていました。スペイン戦争での体験などを通じて人間の残虐性を知り、神がいないと考えた方が物事の説明がつくと内心思っていますが口に出せません。また、神への冒涜を行うものも神の恩恵に預かることがあることも腑に落ちません。

 

 

この映画が公開された時代といえばまだ第二次世界大戦が終わったばかりで、アメリカとソ連を中心とする米ソ冷戦の中で世界が緊張状態にあった頃です。また核兵器開発戦争も勃発していました。

 

 

その一方で学生運動やヒッピーなんかも登場してさまざまな価値観が世界に溢れていた頃ですね。

 

 

さて、映画の中でマルタは信仰心がほとんどない女性です。ただし、愛する男性に対して神のような依存心を抱えてしまう性格です。そしてトーマスを愛しており、そのことを告白した手紙を書きます。これをマルタがカメラに向かって読み上げる長いシーンはこの映画でも特徴的なシーンです。まっすぐこちらを見つめるマルタの目はまさに「信仰心」に溢れています。

 

 

マリア像などが頭にあるのか女性とは敬虔であるべきと思っているトーマスは、マルタを愛していません。むしろ軽蔑し嫌悪しています。それでもトーマスを愛し続けるマルタの姿勢こそが信仰と言えるかもしれません。

 

 

そしてある日牧師との対話に訪れた男性に、本当は神への信仰はエゴに過ぎないと語ります。それを言われた男性はショックのあまりショットガンで自殺をしてしまいます。その知らせを聞き彼の遺体の回収に向かうトーマス。

 

 

まるで神の視点であるかのような引きのアングルで撮影されたこのシーンは「肉体と魂は誰のものなのか」というテーマに対する答えを物語っています。一連の流れはあくまで客観的な描写になっています。

 

 

神を信じるべきなのに信じていない男性、神を信じていないけど男性を信じている女性、神を信じたいのに信じることができなくなった男性・・・

 

 

果たして本当の「信仰心」をもっているのは誰なのでしょうか。

 

 

個人的には神は存在していないと思います。それでも、神を信じることにより自己を律したりコミュニティーで連帯して文明を築くことが出来る点に信仰の意味があると思います。つまり神はいるかいないかはわからないのですが、人間という知能が発達して複雑な感情を持つ生物が神を信じていることそのものに意味があるのです。人間には信じるものが必要であり、信仰があるからこそ大変な人生を歩むことが出来る。この事実だけでも信仰には十分意味があるというのが個人的な意見です。

 

 

ラストのトーマスの台詞がトーマスの信仰に対する考え方の全てであり、またこの映画のテーマへの答えの一つになっていると思います。

 

 

シンプルなだけに色々な解釈が可能で面白かったです。気になった方はチェックしてみて下さいね。