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MOVIE LOVERS' PLACE

映画の感想などを綴っていきます。

スパイク・ジョーンズ監督×カウフマン脚本『アダプテーション』を観た感想・解釈など<ネタバレあり!注意>

ミステリー 監督

こんにちは!今日は三連休最終日ですね〜。すこし寂しいですが、最後まで楽しみましょう。

 

さて本日は映画『アダプテーション』をご紹介します。監督はスパイク・ジョーンズで、脚本はチャーリー・カウフマンです。『マルコビッチの穴』と同じ監督・脚本家のタッグですね。公開は2002年で『マルコビッチの穴』の三年後です。

 

ちなみに『マルコビッチの穴』の感想もこちらのブログで書きました。

movielovers.hatenablog.com

 

原題も邦題も同じ"Adaptation."です。適応するという意味ですね。また小説などを映画用に脚色するという意味もあります。また原題の方には映画タイトルでは珍しくドットがついています。邦題の方もそれにあわせて『アダプテーション。』にすればよかったのにと思うのですが。

 

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『マルコビッチの穴』を観た方ならば一度くらいはカウフマンの頭の中を見たいと思ったことがあるのではないでしょうか?奇想天外な発想ができる天才の頭脳の中を。本作品では、チャーリー・カウフマンをモデルとした男性が主人公です。演じているのはニコラスケイジです。脚本家が脚本を執筆する過程や、それに伴う苦悩や日常のことなどが描かれています。また『マディソン郡の橋』などでお馴染みのメリルストリープも出演しています。彼女の演技って安定感があって間違いないって感じですよね。大げさじゃない演技が好感度高いです。またクリス・クーパーも良い演技してます。

 

 

www.youtube.com

trailerはこちらです。

 

<ここから先ネタバレあります注意!>

 

 

 

 

 

 

この映画ではかなり深遠なテーマが提示されていますね。

 

それは私たちはなぜ映画を観るのかということです。

 

主人公チャーリー・カウフマンは、映画製作において独自の考え方を持っていました。ハリウッド映画よろしく非現実的なことがたくさんおきるのではなく、何のアップダウンもない平凡な日常を描いてみたいと。それが現実だと語ります。これに対して彼の通っている脚本スクールの講師は「なんの事件もおきない映画は観客が飽きる。それに、人生が平凡だなんてとんでもない。毎日たくさんの人が誰かのために命を犠牲にしている。その程度の感受性のお前に映画を書く資格はない!」と怒鳴ります。

 

私たちは映画をなんのために観るのか?

 

映画は人生を投影するツールなのか?それとも日常から離れて非日常を楽しむためのツールなのか?

 

私たちは映画に日常を求めるのか、非日常を求めるのか。

 

どうして私たちは人生の貴重な2時間を喜んで映画を観ることに費やすのか。

 

確かに映画の中で非日常的な出来事が起きて、それがかえって人生の教訓などを教えてくれることってたくさんありますよね。でもそれは本当の現実と言えるのか。

 

日常も非日常的も混在している世界といえば頭の中ですよね。夏目漱石の小説『三四郎』の中で三四郎が熊本から東京に向かう汽車の中で一緒になった男が「頭の中の世界が一番広い」と言います。とても印象的なフレーズですよね。

 

カウフマンは頭の中にもう一人の自分がいました。自分に自信がなくて卑屈になりがりな自分とは対照的な、自信家で要領がよく友達が多い男、ドナルドカウフマンです。映画の中では双子の弟として描かれています。この男は架空の人物なのですが、映画の中では何度もチャーリー・カウフマンを助ける重要な人物です。また映画の最後のクレジットで、「ドナルドカウフマンを偲んで」とメッセージが記載されています。

 

 

きっとカウフマンはリアルで、日常的な世界が書きたかったのだと思います。よくあるハリウッドの事件が起きて解決してハッピーエンド、のような映画ではなく。ハリウッドでは脚本の書き方として「三幕法」というものがあり、ストーリー全体を3分割し、はじめの30分で設定の説明、次の60分で事件が起きてストーリーが展開、ラスト30分で解決してストーリー終わりというのが定石です。これが常識となったからこそ最近の映画では展開が読めるものが多くなってしまったのは事実です。昔の映画の方が展開が型破りで自由な発想のものが多いです。でも「三幕法」で書くと分かりやすいしより多くの人に理解してもらいやすいので、商業的にはこっちの方がベターなんですね。また映像技術などは飛躍的に進歩したので、脚色がワンパターンでも迫力ある映像や人気役者などで人々を魅了することが可能になったわけです。

 

カウフマンの書きたかったリアルな日常というのはもちろん常人のそれとはだいぶ違います。彼の頭の中の世界も日常の一部ですがそれが展開すれば面白い映画になったはずなのですね。天才だからこそそういう発想になるのです。それに対して脚本教室の講師はその真意を理解することができなかったわけです。だからカウフマンが講師に怒鳴られた理由は正当ではないのです。

 

映画の中で脚本を書き進めるにつれて、色々な障害が登場します。その中のひとつはもっと起伏に富んだ展開で観客を楽しませろという制作会社からの依頼です。

 

そして徐々に彼が着手していた映画は事件味を帯びるようになります。スーザン・オーリアの蘭にまつわる本を原作に脚本を書いていたのですが、ラストでは急に殺人事件がおきそうになり銃を持った男にカウフマンが追いかけられたり。それこそ脚本スクール、もしくはハリウッドが喜ぶ展開になったわけです。

 

このようにして彼の一部は死んでしまうのですね。心の中で相棒にしていたドナルドカウフマン。このことはラストシーンでドナルドカウフマンが交通事故で死ぬことで表現されています。

 

つまり"Adaptation."というのは「脚色」したという意味の他に「大衆映画を求めるハリウッドに適応してあげた」という意味もあるのです。そしてそれにより失ってしまったものを示唆するのが最後のドットなんですね。ひとつの終わりを迎えたからこそドットでタイトルが終わっているわけです。

 

『マルコビッチの穴』の成功により、次回作に対する期待も大きかったことでしょう。もっと奇想天外で、面白くて、ハラハラドキドキする映画を!という要望があったんだと思います。前回の成功が大きかったからこそ余計にです。それに対するアンチテーゼが表現されているのがこの映画です。もっと自由な発想の映画製作を認めてほしいというハリウッドに対するメッセージが込められているわけです。だからこそ「ドナルドカウフマンを偲んで」おり、ラストで流れる歌は「ハッピー・トゥギャザー」なわけです。

 

 

以上、『アダプテーション。』の感想などでした。わたしなりの解釈なので、ぜひ読者の方の解釈も教えて下さいね。最後まで読んでいただきありがとうございました。