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MOVIE LOVERS' PLACE

映画の感想などを綴っていきます。

オーソン・ウェルズ『市民ケーン』を観て<途中からネタバレあり!注意>

1941年にアメリカで公開された映画『市民ケーン』。日本では遅れて1966年の公開です。オーソン・ウェルズが監督・脚本・出演に関わった作品です。

 

 

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市民ケーン - Wikipedia

wikipediのページです

 

 

ザックリ言うと母親の資産で幼少期からお金持ち確定、新聞社を経営するケーンという男の半生を描いた映画です。

 

 

ケーンは幼少期から資産家になることが確定し、様々なエリート教育を受けます。小さいころに母親から引き離されて英才教育、有名大で経営学を学び、大人になってからは新聞社も経営。新聞はバカ売れ、権力者の姪と結婚し、豪邸だって手に入れちゃいます。

 

 

と、ここまで聞くと誰もが羨む人生なんですけど、この映画のテーマは「薔薇のつぼみ」なんです。これはケーンの最後の言葉で、この言葉の意味を探すところから映画は始まります。またケーンの死後、遺品を整理している最中に暖炉から「薔薇のつぼみ」と書かれたおもちゃが見つかります。

 

 <ここからネタバレ注意です>

 

 

 

 

 

 

新聞社を経営し成功をおさめるケーンでしたが、ある若手歌手との不倫がばれ、スキャンダルを起こします。新聞でも一面で報じられ結構な騒ぎに。しかしそれを乗り越え妻と離婚し、歌手と再婚します。

 

 

ここまではいいとして、このあとケーンのダメ夫ぷりが炸裂します。

 

 

この新しい妻のためにウン億円かけてオペラ劇場を立てたケーン、当然妻を主役にします。世間では大不評、妻の歌が下手だの何だの言われ放題。妻も歌うことを嫌がりオペラに出たくないと言い出します。それでもケーン、妻を無理やりオペラに出させ続けます。ついにはプライベートコーチをつけて歌の猛特訓。いやいやオペラに出させ続けられた妻はついにノイローゼになり家を飛び出します。

 

 

ここで、ケーンが求めていた「薔薇のつぼみ」ってなんだったの?という話ですが、これは母親からの愛情だったのではないでしょうか。幼少期に、本来ならば母親のそばで愛情を一身に受けて子供はすくすくと育ちますよね。ケーンは幼いころから資産家になることが確定しており、資産管理などを学ぶために周囲の大人から英才教育を受けます。その過程で母親と引き離されてしまうのです。少年ケーンは当然「お母さんも来るよね?」と聞くも、首を横に振る母。嫌がって暴れる少年ケーン。この映画の印象的なシーンの一つです。

 

 

よく親との関係は、将来の恋愛に影響を及ぼすなんていいますよね。父親に溺愛されて育った女性が、なぜかダメ男ばかり好きになってしまったり。そのまた逆も然り。心理学的にもアダルトチルドレン境界性人格障害なんかの原因としてあげられるのが幼少期の親からの愛情不足、または愛情過多だったりします。

 

 

必要としていた時期に母親の愛情を得られなかったケーン、大人になってからも歪んだ恋愛観に悩んでいました。一人目の妻は権力者の姪で、結婚することで立場は盤石になります。二人目の妻は本当に愛した女性であったものの、まともな愛し方がわかりません。

 

 

ケーンなりに一生懸命愛せば愛すほど、嫌がる妻。オペラ劇場を立ててあげたのに。歌う場所を用意してあげたのに。周囲に酷評されながらも妻が出続けたオペラ、ケーンが誰よりも真剣な顔で大きな拍手を送っていたシーンが特徴的です。

 

 

愛を知らないから、愛することができない。愛が欲しい。母親の愛情があるからこそ、ケーンの人間性は開花することができた。それができなかったから、薔薇はつぼみのまま。少年時代を失ったケーン、大人になってからもそれを探し続けます。愛が欲しいのに手に入らない、そんな永遠の葛藤と戦います。

 

 

どんなに資産家でも有名人でも成功した経営者でも、手に入らないものは、愛。それも人生のある特定の時期を逃したら、一生手に入らない、母親からの愛情。そんなものの大切さが浮き彫りになった映画だと思います。ケーンの設定と、映画のテーマが対照的で、だからこそ印象に残る素晴らしい映画です。