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MOVIE LOVERS' PLACE

映画の感想などを綴っていきます。

<雑談>『鋼の錬金術師』の実写版映画って誰向けのもの?

こんにちは。

 

今日『鋼の錬金術師』の実写化のニュースを知りました。

 

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www.famitsu.com

 

 

来月から撮影開始で、来年の冬公開なんですね。

記事によるとキャストはこんな感じです。

 

 

【出演キャスト】
エドワード・エルリック役:山田涼介
ウィンリィ・ロックベル役:本田翼
ロイ・マスタング役:ディーン・フジオカ
ラスト役:松雪泰子

ヒューズ中佐役:佐藤隆太
ホークアイ中尉役:蓮佛美沙子
ロス少尉役:夏菜
タッカ―役:大泉洋
ドクター・マルコー役:國村隼
ハクロ将軍役:小日向文世

エンヴィー役:本郷奏多
グラトニー役:内山信二
コーネロ教主役:石丸謙二郎

ファミ通.comより引用

 

 

また監督は曽利文彦さんです。『ピンポン』『ドラゴンエイジ -ブラッドメイジの聖戦-』など多数手がけていらっしゃるようです。

 

曽利文彦 - Wikipedia

 

 

これは昨今の邦画の実写化ブームの中でも大型の作品になりそうですね。ハガレンといったら壮大な世界観を持つ漫画・アニメで日本のみならず世界中にファンがいる人気作品ですもんね。もちろん私も大好きです。

 

 

このニュースを見て素直に思ったのはこんな感じでした。

 

 

これ、誰向けなん? 

 

 

キャスティングからして、ジャニーズファンを集客の柱にしているのかな?アイドルとかモデルの出演も目立ちますね。

 

 

その一方で、これだけの人気作品を実写化する以上、当然原作ファンの存在も無視できないですよね。

 

 

まさか原作ファンかつジャニーズファンというニッチな層を狙っているのか・・・!?笑

 

 

そもそもなんで演技力に期待できないキャスティングにするんでしょう。ただでさえ漫画のキャラクターを日本人って実写化するのって相当の実力が必要なのに、ウィンリー役の方に至っては海外撮影自体が初めてらしいです。ハガレンって魅力的で濃いキャラクターがたくさん出てくるのが良いのに、演技力ない人がやったらお寒い感じになりそう・・。

 

 

唯一見てみたいのは、松雪泰子さんのラストと、内山信二さんのグラトニーです笑

 

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そもそもエド役を日本人がやること自体キツイと思いますけど、例えて言うなら佐藤健さんが似合いそうだと思ってました。『剣心』の身のこなしで、バトルシーンとかやってほしい。

 

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なんにせよ来年の冬の公開が待ち遠しいです。どうか原作ファンの気持ちも大切にした作品にしてくださいね!!

ベルイマン監督『夏の遊び』の感想など<ネタバレあり注意>

ヒューマンドラマ ヨーロッパ 監督 恋愛

こんばんは。本日はイングマール・ベルイマン監督『夏の遊び』の感想です。

 

 

この映画は1951年に公開されたスウェーデン映画です。

 

 

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長年バレリーナとして活躍してきたマリーは、その美貌にも関わらず、ずっと独身です。周囲は彼女がなぜ独り身を貫くのか、聞きたくても聞けません。

 

 

実は彼女にはヘンリックという恋人が過去にいました。そして若かりし頃に彼と二人で離島で過ごしたバケーションの日々のことを忘れていません。

 

 

その『夏の遊び』の思い出がマリーをずっと捉えていたのでした。

 

 

ざっくりとしたストーリーとしてはこんな感じです。

 

 

個人的にはベルイマン作品の中でも比較的見やすい&理解しやすいので、『野いちご』とともにお気に入りです。

 

 

全編スウェーデン語で綴られています。なんだかスウェーデン語ってドイツ語に響きが似ていますね。その一方でお隣のフィンランド語とは音の響きが全然似ていません。ベルイマン作品とカウリスマキ作品を比べてみると面白いです。

 

 

フィンランドスウェーデンってお隣の国なのに言語も全然違うし、やはり人種も微妙に異なっているように見えます。国民性なども違うのでしょうか?北欧といっても多様なバリエーションが複雑に絡んでいるのですね。なかなか興味深い分野です。

 

 

 

<ここから先ネタバレ注意>

 

 

 

さて、マリーを長年とらえていたのは、離島でヘンリックと二人で過ごした日々です。離島でバケーションをしてた二人は、約一ヶ月半を一緒に過ごしました。夏の短い北欧の人々にとって明るくて暖かい日が続く夏というのは特別な季節なんですね。日本人にとっての春みたいなものでしょうか。

 

 

「若い頃」「夏の日」「バケーション」といったキーワードが、短くも楽しい日々を連想させます。そして楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、厳しい冬が訪れます。

 

 

バケーションでの日々も終わりに近づいたある日、二人はお互いの気持ちを確認し、婚約します。

 

 

ところが幸せ絶頂の最中、ヘンリックは崖から飛び込みをしたところ運悪く岩礁にぶつかってしまい、病院に運ばれるもそのまま亡くなってしまいます。

 

 

このことに大きく落胆したマリーは、ひどく憔悴の日々を送ります。そしてそこに目をつけたのがエルランド叔父さんです。彼は若くて可愛いマリーを気に入っており、妻がいるにも関わらずマリーを自分のものにしたいと思っていました。エルランドはマリーの母親にも過去に恋していました。

 

 

ヘンリックを失った悲しみから自分を救うために「壁の作り方」を教えてあげるとマリーに言います。そして悲しみにくれるマリーに付け入り、自分の愛人にしてしまいます。

 

 

このようにしてマリーはずっと独身のままなのでした。

 

 

ところが、ある出来事が事態を一変させます。ある日マリーのもとにヘンリックが生前つけていた日記が送られてきました。エルランドがずっと持っていたものです。

 

 

マリーはこの日記を、彼氏で新聞記者であるデイビッドに読ませることを決意します。もともとマリーはデイビッドと別れようとしていました。エルランドの作った壁のせいで、異性と近くなりすぎるといつも別れてしまうのです。

 

 

そして自分の最大の秘密をデイビッドと共有することで、マリーは過去と決別することができるようになります。そしてやっと自分の人生に目を向けて歩こうと決意します。そしてデイビッドとも別れずに、二人はより絆を深めたのでした。

 

 

ではなぜエルランドおじさんは、長年続いてたマリーを手放すような行為をとったのでしょうか。私はこの手紙を送ったのは本当はエルランドの妻だと思います。妻が自宅でこの日記を見つけます。おそらく妻はマリーと夫との関係を知っていましが、長年黙殺してきたのだと思います。

 

 

派手な美人に比べると控えめで美人とは言えない妻。分不相応な行為は取るまいと、見て見ぬ振りをして黙っていたのでしょう。そして妻はヘンリックの残した日記で、二人が婚約までする仲だったと知ります。ヘンリックのメッセージがマリーに届いていない事実も知ります。ただの不倫だと思っていたら、実は違った。夫の卑怯な手段を知ってしまった。他人の死に付け込み、本来なら振り向いてもくれなかった若い美人を自分のものにしていた夫。分相応ということを大切にしていた妻だからこそ、これは許せなかったのでしょう。

 

 

またエルランドの図らいで、ずっと「壁」を築いてきたマリー。この壁は他人に対するものではなく、自分に対する壁です。自分の感情に蓋をすることで、悲しみを避けていた。ヘンリックの死という事実と向き合ってこなかったのです。ヘンリックの遺品である日記を読むことで、それに向き合うことができ、それにより自分にも向き合うことができるようになったのでした。

 

 

マリーに訪れたそうした変化が、マリーが楽屋でメイキャップを拭うシーンで表現されています。疲労と焦燥、悲しみにくれる表情が、メイキャップが拭われていくにしたがって晴れ晴れとした若々しいものに変化していきます。心の化粧も取れ、やっと本当の幸せに向き合うことができるようになったマリー。最後は満面の笑みを浮かべます。そのことを端的に表現したこのシーンがお気に入りです。シンプルながらも全てを説明していて良いシーンだと思いました。

映画『All That Jazz』の感想<ネタバレなし>

こんにちは。東京はあいにくの終日雨で、洗濯を明日に回したもとこです。

 

 

本日の映画は『All That Jazz』です。

 

 

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1979年公開の映画です。監督はボブ・フォッシー。ブロードウェイ・ミュージカルで数多くの作品の振り付けを担当したみたいです。1975年の『シカゴ』も手がけたようです。

 

 

主人公のギデオンが手がけるブロードウェイのミュージカルと、彼の回想の中で紡がれる映画が一緒くたになって進行するミュージカル調の作品です。

 

 

ギデオン役にはロイ・シャイダーです。前半のチャラ男っぷりから後半のしんみりした感じの演じ分けが見事でした。

 

 

素晴らしい歌とダンスのシーンがたっぷり見れる作品です。

 

 

www.youtube.com

 

 

ブロードウェイといえば日本人の米倉涼子さんも『シカゴ』でロキシーハート役を演じたことがあるんですよね。改めてすごいことだなと思いました(´Д` )

 

 

さて、この映画は「私たちはいつか確実に死ぬ」という極めてシンプルで単純な事実を教えてくれます。それは50年後かもしれないし、明日かもしれないし、いつかは分かりません。がしかしいつか死ぬことは確定しています。

 

 

登場人物が死んでしまう映画はたくさんありますけど、この映画では登場人物が死と向き合う気持ちが歌になっています。その歌詞がとてもリアルで切ないのです。"I think I am gonna die. Good bye happiness, hello loneliness."みたいなシンプルな歌詞でコミカルに演じられます。生きている状態と死んでいる状態が半々で、いったり来たりする点が珍しく感じます。このシーンを見ていると自分まで死んでしまうのではないかと思いました。

 

 

普段生活しているとあたかも自分の人生は永遠に続くのではと錯覚してしまうこともありますが、決してそんなことは無いのですね。最近は地震なども頻繁に起こり考えさせられる機会も増えてきていますが。

 

 

なんでも80歳以上の方に「人生で最も悔いていること」をアンケートを取ると、「もっと冒険しておけばよかった」という回答が一番多いらしいです。

 

 

ついシャイになってしまって、やりたいことを辞めてみたり。失敗したときのことを考えたり。また今度やればいいかと思って諦めたり。貯金中だからパスしたり。会社に有給申請するのも大変だから、延期してみたり。

 

 

でもそれらは、「時間がたくさんある状態」「健康である状態」の渦中だからこそ取る選択肢なのですよね。渦中にいるとありがたみが分からないことはよくあります。

 

 

それらがそろそろ終わる時になって、やっと「もっと冒険すれば良かった」と思う。

 

 

ということがはじめから分かっているのであれば、じゃあ今のうちに悔いが残らないようにやりたいことをやろう。と思いました。

 

 

うん、たくさん冒険しよう。♪( ´θ`)ノ

 

 

以上、『All That Jazz』の感想でした。

映画『バートン・フィンク』の感想や解釈など<ネタバレあり注意>

サスペンス 歴史 監督 社会

こんにちは。

 

 

なぜか昨夜韓流アイドルの動画をひたすら観てしまったもとこです。

 

 

韓国のアイドルグループって、アメリカとか海外の歌手の曲をカバーしてライブなどで歌う人が多いですよね。ターゲットにしているマーケットの違いなのか、テイストの違いなのか、日本のアイドルはあまりそういうことしない気がします。AKBがリアーナのカバーとかしないですよね笑

 

 

www.youtube.com

 

 

これとか

 

 

www.youtube.com

 

これとかですね。

 

 

海外進出を考えてて、英語も上手なんだったら、海外ドラマとか出ればいいのに( ^ω^ )と思いました。アジア人の美女役とかで。

 

 

さて、本日の映画は『バートン・フィンク』です。

 

 

コーエン兄弟制作の1991年の映画です。

 

 

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ざっくりとしたストーリーとしては、ニューヨークでライターをしている青年バートン・フィンクがハリウッドにやってきます。そして契約しているスタジオに脚本を執筆するため、あるホテルに宿泊します。そこで同じフロアに宿泊していたチャーリー・メドウズと知り合います。そこから色々なことが起き・・といったストーリーです。

 

 

まず、映画としての完成度が大変高い作品だと思います。いや、高すぎるかもしれません。思わずヒューマンドラマの映画と錯覚してしまいそうになる穏やかな前半、そこから「事件」が起きた後の後編への流れが見事です。

 

 

事件が起きるまでの不穏な伏線、そして事件、そこからの飽きさせない展開、完璧に計算し尽くされた脚本です。最早美しいと言っていいです。また回収していない伏線があるので深読み要素も満載です。また映像的な表現も多く、映画として充実しています。映画の、映画による、映画のための作品です。小説原作や実写化とは一線を画す、オーダーメイドのサラブレッドという感じです。

 

 

しかしながら少し完成度が高すぎる気もします。つまり過ぎたるは及ばざるがごとしというやつです。「皆まで言うなよ、無粋だから故に」という気もするのです。とはいえここまで面白い作品が観れた記念に、感想をここに綴っていくことにしました。

 

 

 

 

<ここから先ネタバレ注意>

 

 

 

 

 

何と言ってもキーマンになるのはチャーリーです。もうね、しょっぱなから胡散臭すぎるんですよ。初めからいやにフレンドリーだし、スマイル全開だし。バートン・フィンクに初めて会ってから「俺たち真の友達だぜ」まで10分かかってないですからね。それに耳垂れという持病があるから脱脂綿を耳に詰めて、いつでも汗だく。ちょっとキャラデザイン強烈過ぎじゃないの、コーエン兄弟さん、って感じです。ちなみにあまり整備が行き届いていないため、ホテルの壁紙も露で何度も剥がれます。このへんはリンクされているのですね。

 

 

さて、脚本の執筆に行き詰まったバートン・フィンクは、尊敬する小説家・脚本家であるW・P・メイヒューに相談しにいきます。そこで知り合った彼の恋人兼秘書のオードリーに一目惚れします。

 

 

ある晩、煮詰まったバートン・フィンクはオードリーに助けを求めます。そしてバートン・フィンクが宿泊するホテルに来てくれたオードリー。二人は良い仲になるものの、翌朝目覚めたバートン・フィンクの隣に横たわっていたのは血まみれのオードリーの遺体でした。そして気が動転したバートン・フィンクはチャーリーに助けを求めます。

 

 

さて、チャーリーは実は警察に追われる連続殺人鬼であると判明します。チャーリーも実は偽名で、本名はカール・ムントです。本名からも推察がつくように、彼はドイツ系でした。そして熱狂的なヒトラー信者でした。また今でもユダヤ人を蔑視し、ファシズムの時代に憧れの念を抱いています。

 

 

チャーリーははじめバートン・フィンクを殺害する予定でした。そもそもホテルを宿泊場所に選んだのは、ユダヤ系の客が多く宿泊するホテルだからです。そして彼の部屋にお酒を持って訪れます。しかしながら、孤独な執筆生活に苛まれていたバートン・フィンクは久々の話し相手とお酒でついチャーリーに自分の感情をぶつけてしまいます。この瞬間にチャーリーはバートン・フィンクを殺害するのを辞めました。

 

 

物事の本質を何も分かっていないハリウッド、それは愚の象徴です。そしてバートン・フィンクの作品の本当の良さも分からずに商業主義から下らない脚本を書かせるスタジオの社長はハリウッドそのものです。何も分かっていない癖に、自分だけは君の作品の良さを分かっているといい、大衆迎合的なプロレス映画の脚本をバートン・フィンクに書かせる社長。その矛盾が頂点に達するのが社長がバートン・フィンクの靴にキスするシーンです。

 

 

そんなハリウッドに位置しながら、土地柄とは一線を隠すホテル。そこではハリウッドの抱える矛盾が露にように染み出してきます。どんなに壁紙で覆っても溢れ出してくる、商業主義と反知性の残滓。またバートン・フィンクがフロントに壁紙が剥がれているので修理するように電話しても、きちんと対応されません。代わりに部屋に置かれたピン。これで壁紙を直すようにというフロンマンのチェットからの手紙。

 

 

これも普通に考えたら変ですよね。普通はホテルが修理するべきで、それを宿泊客にやらせません。これはチェット、つまりホテル(=ユダヤの象徴)からのメッセージでした。「西側諸国との問題はいつだって自分の手でどうにかする必要がある。それが我々ユダヤ民族なのだ。」という。

 

 

さて、殺害されたオードリーもユダヤ系でした。実は長年愛人をやっている小説家のW・P・メイヒューのゴーストライターとして彼女は暗躍していました。知恵を持って世界を影から支配する存在であるユダヤ人の象徴です。しかしながら彼らは控え目であるため、表舞台に立とうとしません。そんなユダヤ人の手柄をとって表舞台で名声を集める人たちの象徴がW・P・メイヒューです。彼ものちにチャーリーにより殺されます。

 

 

さて、チャーリーはきっと二重人格だったのでしょう。なぜなら、偽名であるチャーリーとはチャップリンの愛称でもあるからです。ヒトラーファシズムを批判し、真に平和な世界が訪れるように願ったチャールズ・チャップリン。そんな彼のことをもう一人のカール・ムントであるチャーリーは崇拝しているのです。

 

 

movielovers.hatenablog.com

 

 

この極めて相反する性格が露見するのが、チャーリーが殺害したオードリーの頭部を入れた小包をバートン・フィンクに渡した後です。はじめは自分の所有物だから預かっといてくれ、と渡します。しかしニューヨークでチャーリーの親族(彼らもユダヤ人)を殺害しハリウッドに戻ってきたあと、チャーリーはこう言うのです。「俺のものでは無かった。」と。

 

 

これは反ユダヤ主義のカールが殺害した遺体は、チャップリンを崇拝するチャーリーのものでは無いと考えれば説明がつきます。一つだけ共通しているのは、この二つの人格は欺瞞が大嫌いで矛盾と利己主義が溢れる現代社会に反発していると言うこと。だからこそハリウッドに作風に合わない脚本を執筆させられて苦悩するバートン・フィンクのことを殺害するのを辞めたのです。しかしながら自分こそが一番の自己矛盾を抱える存在であることに気付き、チャーリーは火をつけたホテルでそのまま死ぬことを選びます。

 

 

チャーリーがバートン・フィンクを助けるため、火のついたホテルでベッドを壊して開放するシーンはこの映画の一番の見所です。アメフトをやっていた怪力チャーリーは必死の形相で鉄製のベッドのパイプを曲げ、警察に施錠されたバートン・フィンクを開放してあげます。「もうこれ以上ハリウッドに囚われる必要はない、自分らしい作品を書け」というメッセージです。

 

 

そしてパイプが曲がった時に、球体の鉄のボール(ベッドの部品)が部屋の床に転がり、アップになります。ここは映画的な表現が卓越したシーンです。この鉄級は世界の象徴です。「自分らしく生きることで、世界の覇権は手に入らないかもしれないけど、それよりも大切なことは真に社会に伝えたいメッセージを作品に込めることだ。」ということですね。コーエン兄弟の作品観のようなものも感じられます。ちなみに映画『独裁者』の中で、チャップリン演じる大総統はボールで出来た地球儀でバレーボールをして遊ぶシーンがあります。

 

 

そしてチャーリーに助けられ警察の手を逃れたバートン・フィンク。残念ながら彼のキャリアで最高傑作と思われた脚本はスタジオで認められず、もっと大衆的なプロレス映画を書くように社長に伝えられるのでした。そして脚本と小包を持って海岸に行くバートン・フィンク。そこには美人の女性が水着姿で佇んでおり、それはホテルに掛けられてあった絵画と瓜二つの光景でした。

 

 

これは結局世の中は表面的なものしか理解できていない、物事の深淵に目を向けようとしないことを冗談交じりに嘲笑った描写ですね。だからこそ女性は美人だし、後ろを向いているのです。そしてその光景を見て逆に肩の荷がおりて軽くなるバートン・フィンク

 

 

これは浮世絵の発想と似ていますね。もともと浮世絵は「憂き世絵」と書かれ、「大変なことだらけの世の中」を意味していました。そこから、だったら笑って浮かれてしまおう、という発想になり現在の漢字が使用されるようになったと言われています。この境地に立つことが出来た脚本家バートン・フィンクのキャリアは、これから作品に恵まれた明るいものとなることでしょう。

ベルイマン監督作品『野いちご』の感想など<ネタバレなし>

ヨーロッパ ヒューマンドラマ 宗教 監督

こんにちは。

 

 

本日の映画は『野いちご』です。監督はベルイマンです。

 

 

公開は1957年のスウェーデンの映画です。

 

 

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ざっくりとしたストーリーとしては、学会での名誉学位授与式に向かうために車の旅をしている主人公イーサクの記憶と幻想でつむがれるヒューマンドラマです。テーマは神、信仰、人生、家族、愛などです。

 

 

自宅のあるストックホルムから学会のルンドまで約600km、約6時間の長旅です。

 

 

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この旅のお供をするのは、イーサクの息子の妻であるマリアンヌです。息子と夫婦関係が悪化していたことからストックホルムに居候していたのですが、この度自宅に帰ることを決めたのでした。

 

 

イーサク役を演じたのはヴィクトル・シェストレムさん。当時78歳でした。「スウェーデン映画の父」と呼ばれている巨匠です。また本作が最後の映画出演となったらしいです。

 

 

高齢者の男性が主人公の映画って珍しいと思います。しかも全編に渡って彼が登場します。撮影時の体力などが心配になってしまうほどです。

 

 

このヴィクトル・シェストレムさんの演技が素晴らしいです。この時代の映画の演技って舞台劇っぽいセリフ回しが多いのですが、彼の演技はかなりナチュラルで現代人でも見やすいです。

 

 

またマリアンヌ役はビビ・アンデショーンさん。「ビビ」って可愛い名前ですね。品のある美人さんです。またベルイマン映画の常連です。知的で芯の強いマリアンヌ役がとても似合っています。

 

 

はじめは自己中心的で他者を顧みない性格だったイーサクが、旅でのいろいろな人との出会いを通じてどんどん変わっていきます。

 

 

まず映画のはじまりのイーサクのセリフがすごいです。

 

 

「人間関係とはくだらない悪口に巻き込まれることである。」

 

 

これではじまります。イーサクが自宅の部屋で犬と一緒にいるときのセリフです。かなり攻めてますね。世捨て人の爺さんのセリフです。

 

 

また自身の自己中な性格のせいで今までの人生で妻をはじめとする色々な人に迷惑を掛けてきたとも言っています。

 

 

また女性の人生観に対する彼の意見はこうです。

 

 

「女の楽しみとは泣くこと、出産すること、他人の悪口を言うことである。」

 

 

いくら時代背景もあったとはいえ、かなり偏屈な人物であることが十分に読み取れるセリフです。

 

 

そして明日は学会に向けて出発、という日の夜にイーサクはすごい夢をみます。このイーサクの夢のシーンが素晴らしいの一言です。

 

 

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構図、サウンドの使い方、シーン構成、臨場感のある演技、クリエイティブな演出、全てにおいて卓越しています。

 

 

イーサクは医師であり、医療用器具の発明の権威でした。彼の今までの人生における人間関係、特に若い頃の婚約者と弟、妻、息子とのものはあまり上手くいっていませんでした。しかしながら旅を通じて知り合った人々、また見た幻想を通じて彼の価値観が変わっていきます。

 

 

80歳の偏屈爺さんが、6時間のドライブで人生観を変えてしまうというのがいいです。実際は休憩などもあり6時間ではありませんが。

 

 

色々な解釈ができると思いますが、タイトルの「野いちご」はわたしは「他者への思いやり」だと思います。厳しい自然で力強く繁殖する野いちご。温室育ちではないからこそ、雨や雪の厳しさを知っています。そんな野いちごは家族へのプレゼントであり、また温かいハートの象徴でもあります。長年「野いちご」を失っていたイーサクが、旅を通じてそれを取り戻し、人生の終焉で穏やかな心を獲得することができたのでした。

 

 

また40年に渡りお手伝いさんを務めてくれているアグダとは最早夫婦のような関係です。しかしながら、一線を超えることはなく適度な距離感を保つ二人。授与式の夜にイーサクはアグダに自分を名前で呼ぶよう提案します。距離を縮めようとしたのですね。

 

 

しかしアグダはその申し出を断り、あくまで家政婦としての自分を崩しません。これはおそらく距離を縮めてイーサクと夫婦のような関係になったら、彼の自己中さが許せなくなるからでしょう。偏屈な人に40年仕えてきたアグダには、彼女なりのイーサクとの接し方があるのでした。相手の期待感が高まると裏切られたときに失望するので、いまの関係性がちょうど良いのをアグダは知っているのですね。このアグダのシーンがかなりかっこいいです。

 

 

みどころの多い映画で示唆に富んでいて大満足でした。気になった方はチェックしてみてね!

ベルイマン監督作品『夏の夜は三たび微笑む』の感想や私見など<ネタバレなし>

ヒューマンドラマ ヨーロッパ 監督

こんにちは。本日の映画は『夏の夜は三たび微笑む』です。

 

 

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イングマール・ベルイマン監督作品で、公開は1955年です。スウェーデンの映画です。

 

 

このブログでは『冬の光』につづくベルイマン作品のご紹介です。

 

 

movielovers.hatenablog.com

 

 

ベルイマン作品って、哲学や宗教など難解なテーマがシンプルでさりげない作風に込められていて、分かりそうで分からないです。笑

 

 

ちょっと会話ばかりの退屈なシーンが続き、スマホいじろうと思ったら、いきなりキーになる詩的なセリフが投入されるのでまたスマホをいじるのを辞めるって感じです。気が抜けそうで抜けないです。

 

 

そして詩的なセリフは示唆に飛んでいて、いかにも視聴者を知的にチャレンジしている感じです。静かながら挑戦的です。

 

 

そしてそれを分かりつつもまた観たくなってしまう、という感じですね。

 

 

さて、この作品では複雑に絡み合った男女の人間関係が描かれています。フツーに不倫もありで、現代日本だったらかなり叩かれそうなストーリーです。

 

 

弁護士のフレデリックには若くて美しい妻アンがいました。そして二人が暮らす豪邸にはお手伝いの若くてセクシーなペトラがいました。またフレデリックと前妻の間の息子ヘンリックがいました。フレデリックとアンの結婚生活はまだはじまったばかりにも関わらず上手くいっているとは言えません。またフレデリックには長年愛人関係にあった美しい女優ディズリーがいました。ディズリーには別の不倫相手がいて、その妻とアンは友人でした。またディズリーにはフレデリックという名の息子がいました。おそらく弁護士フレデリックの子です。

 

 

ちょっと自分で書いていて訳わからなくなってきたので図にしました。雑なのと字が汚いのはお許し下さい。

 

 

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彼らはこれらの入り組んだ人間模様を解決するべく、ディズリーの故郷の邸宅のサマーナイトに出かけます。これはスウェーデンの伝統で、夏の日に夜明けまで過ごすパーティーのようなものらしいです。これがタイトルの由来ですね。

 

 

ベルイマン作品に登場する人たちって、とても人間らしいキャラクターが多いと思います。その人間らしさから、信仰や哲学についての答えを導き出そうとしている気がします。

 

 

若妻アンからすれば、美しい女優ディズリーの美貌が羨ましいです。その反動から夫フレデリックに「彼女は50歳に見える」と言ったりします。実際は32歳です。またディズリーからすればアンの若さが羨ましいのです。待女にまで年齢をネタに結婚して落ち着くことをすすめられたりします。

 

 

「恋をするということは、とてつもなく素敵なあなたに、とてつもなくつまらない私を好きになってもらうこと。」という言葉を思い出しました。つまり自分に自信がなくなり、不要な心配、不安、嫉妬といった感情が発生するのが普通なのです。

 

 

この様子ってギリシャ神話に出てくる神々に似ていますね。その後の時代に登場する神格化された存在ではなく、ギリシャ神話に出てくる神はもっと「人間らしかった」です。恋をしたり、嫉妬して肉親を殺したり、昼ドラ顔負けのドラマが繰り広げられていました。

 

 

私たちの感情や思考は脳のタンパク質で起こる電気信号に過ぎませんが、それが文明や神々やドラマを作っていると考えると素敵ですね。それこそが人間を人間たらしめるもので、この世界を作っているのです。

 

 

そういう意味では人間らしさの中にこそ神が潜んでいるのかもしれませんね。

 

 

少し脱線になりますが、最近読んだ本でこれが面白かったです。

 

 

『天才学者がマンガで語る脳』

 

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なかなか解明されてこなかった脳の仕組みを少し深いところまで説明していて、何となく見てはいけないものを見たような深淵な気分になりました。当たり前ですが過去の脳科学者の実験や研究の積み重ねで今の脳科学があるのですよね。そしてまだまだ発展しそうな分野です。

 

 

わたしもこの映画の登場人物に漏れず、悩みの多い「人間らしい人間」ですが、そんな日々を楽しもうじゃないか、とより一層思った作品です^^

映画『ミスト』の感想・解釈など<ネタバレあり>

SF ホラー 社会 監督

こんにちは。本日の映画は『ミスト』です。

 

 

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こちらは2007年の公開です。原作はスティーヴン・キングの小説『霧』です。スティーヴン・キングといえば『キャリー』『シャイニング』『ミザリー』『スタンドバイミー』『ショーシャンクの空に』など数々の映画化小説をもつ売れっ子作家ですね。また最近では海外ドラマ『アンダーザードーム』も原作です。

 

 

『シャイニング』の映画化では監督をやったクーブリックと揉めに揉めたことでも有名です。才能あるもの同士が譲れなかったパターンですね。

 

 

movielovers.hatenablog.com

 

 

また監督はフランク・ダラボンです。『グリーンマイル』などスティーヴン・キングの原作を映画化した作品が多いですね。

 

 

本作のざっくりとしたストーリーとしては、アメリカの田舎町で暮らすデヴィッドはある日嵐に遭遇します。そしてそのあと深い霧に町は包まれます。街を襲う恐怖を住民たちは力を合わせて乗り越えようとし・・・といった感じです。

 

 

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trailerはこちらです。

 

 

<ここからネタバレ注意>

 

 

 

 

 

 

 

この映画では、霧の奥から謎の生物が登場します。ハエと蚊を足して二で割ったような昆虫、恐竜のプテラノドンみたいな大きな鳥、そしてもはや脚しか確認できない大きな「生物」です。いずれも殺傷能力が高く、人間の姿を確認するや鋭い牙で襲いにかかります。また繁殖能力が高く、人間を培養にしてあっという間に個体数を増やします。

 

 

この生物兵器とも言える数々の生物に襲われる街。人々は恐怖に包まれます。デヴィッドはたまたま息子と買い物に来ていたスーパーマーケットで霧に包まれ、そのままスーパーマーケットでの避難がはじまります。

 

 

スーパーマーケットにはデヴィッド親子以外にも街の住民が避難しており、団結して生物を倒そうと試みます。スーパーマーケットにあった包丁や殺虫剤、マッチなどを駆使して必死に生物と闘います。

 

 

目の前で人が殺され、また謎の生物がいつ襲ってくるか分からない状況に街の住民たちは徐々に混乱し始めます。そして恐怖のあまり自殺をしたり、聖書を手に布教をはじめる者が登場したりします。

 

 

精神的に余裕がないときに人々が頼ってしまうのはスピリチュアルに語りかける分かりやすいプロバガンダです。今のアメリカ大統領選しかり。「分かりやすさ+感覚にダイレクトに語りかけるストーリー」は最強です。古代ギリシャのデマゴーゴスのときから変わっていません。そして人々はあっという間に宗教の狂信的な信者であるミセス・カーモディの言いなりになってしまいます。

 

 

いつかミセス・カモーディを中心に生贄を出そうと人々が言い出すことを危惧した主人公デイヴィッドは、息子と何人かの住民を連れてスーパーマーケットを脱出しようとします。

 

 

スーパーマーケットというとても日常的な場所で、未確認生物の襲来と人々の恐怖による暴徒化という非日常的な事態が起きるというギャップがいいですね。また未確認生物のCGがちょっと今ひとつ・・・というところでしたが、役者の演技がリアルで臨場感があったのでトータルで入り込むことが出来ました。

 

 

霧と未確認生物の原因は、どうやら軍の実施した「アローヘッド計画」なるもののせいであることが分かります。そしてスーパーマーケットにいたMP(憲兵)は、暴徒化した人々に襲われて負傷し、化物たちの生贄にされてしまいます。これでもかと人間の残酷さを浮き彫りにした描写ですね。

 

 

息子と3人の住民(年老いた女性、年老いた男性、若い女性)を連れて車で脱出したデイヴィッド。行けるところまで行くものの、ガソリンがついに底をついてしまいます。そして最早なす術なしと判断したデイヴィッドは、拳銃で集団自害することを思いつきます。しかし銃弾が4発しかなかったため、デイヴィッドは自分がみんなを銃殺して自分は生き残ることを決めます。あとから化物に殺されることを覚悟して。

 

 

このようにして4人を殺害したデイヴィッドは悲しみに打ちひしがれ、車から出ます。そしてやけになり化物に食べられようとします。そこに突如霧が晴れ、軍隊の姿が。なんとか軍隊が到着し、スーパーマーケットの住民も救出されたようです。

 

 

あと少しだけ待てば4人を殺害する必要がなかったことを悟り、自分のしてしまった行いに発狂するデイヴィッド。これで映画は終わりです。

 

 

個人的な解釈としては、この映画は近い将来の人工知能による人類の駆逐に警鐘を鳴らしていると思いました。

 

 

すでに宇宙飛行、遺伝子操作、環境破壊など神の領域に踏み込んでしまった人類。次のテクノロジーは人工知能です。二次関数的に成長する人工知能を人類がどこまでコントロールできるかは未知の領域です。もし人工知能が発達し、自我を獲得し、人類の駆逐を考え始めたら・・・人類に残されている道は破滅だけです。

 

 

霧は見通しが悪い未来を暗示しています。先がどうなるか分からない状況は自然と人々を不安に貶めます。そして不安を感じた人々は理性的で正しい判断ができなくなります。

 

 

また「アローヘッド計画」とは「矢のように人類の知能を凌駕する新しい知能の存在」を示唆しているのではないでしょうか。現代は情報化社会であり、情報さえあれば簡単に他者の命を奪うことができます。映画では危険生物に酷くも殺害されましたが、未来の社会では不要と判断されて職にもつけず社会的に排除される人が数多く出てくるでしょう。

 

 

軍隊による計画であることは国家権力との繋がりを示しており、それは政府が人工知能のプロジェクトを推進し、巨大な民間企業と結託して研究を進めている国があるからです。

 

 

またデイヴィッドは善良な市民の象徴です。デイヴィッドは恐怖生物の襲来に勇敢に立ち向かい、何度も住民の命の危機を救いました。自分の安全よりも人々を守ることを優先するさまはまさにヒーローです。

 

 

しかしながらデイヴィッドは映画の中で大きな判断ミスを二回もします。一回目は重傷を負った 仲間を救うため薬局にいったときです。危ない思いをしていった薬局はすでに危険生物に制覇されており、ここに行ったせいで仲間の命を失いました。またせっかく薬を手にいれたにも関わらず、仲間は既に息絶えていました。痛切な無駄足だったわけです。

 

 

また二回目は車でスーパーマーケットを脱出し、行き着いた先で集団自害をはかったことです。スーパーマーケットを脱出したメンバーは息子、若い女性、年老いた女性、年老いた男性、デイヴィッドです。これは家族を象徴しています。デイヴィッドと若い女性は夫婦、またその子供である息子、また両親です。家族を必死に守ろうとするがあまり結局みんなを殺害してしまうのが、デイヴィッドの最大の判断ミスです。人間の頭脳で必死に判断しても所詮人工知能には敵わないことを、まるで神が嘲笑うかのように暗示しています。

 

 

またこの映画ではキリスト教ユダヤ教に見られる選民思想も感じられます。人工知能が発達した社会で、生存を許される人物と、不要と判断されて排除される人物がいるということです。救われる者と、救われない者。また勇敢で愛する者を救おうとする者。しかしどんなに頑張っても人工知能には知能で劣るのです。

 

 

もし地球規模の核戦争が勃発したとして、シェルターに避難できる者の数は限られているのと同じです。そしてそれは国家の管理のもとに置かれているのです。

 

 

これまで肉体的には弱くても、知能で他の生物を圧倒し地球を制覇してきた人類。その知能で上回る相手が登場した時、本当に人類は平和を維持することができるのでしょうか。

 

 

人類が踏み込んでいい領域がどこかはわかりませんが、自分たちでコントロールできない事態を招くテクノロジーはまずそれに該当するでしょう。例えば原子力による発電や核兵器の開発の裏に存在する、チェルノブイリや福島など犠牲を被った土地の存在です。

 

 

文明は一度発達をはじめると、自分たちで止めることができません。それは人間の欲望には限度がなく、また私たちは資本主義を経済活動のルールとして採用したからです。とめどない技術革新にいつか自分たちが飲み込まれることに警鐘を鳴らした作品といえるでしょう。